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国の慰安婦英雄である文玉珠さんは、日本で1991年、日本政府に対し、謝罪と補償を求めて提訴した人物だ。しかし、当人の証言から、文玉珠さんは、日本
兵相手の売春で多額の郵便貯金を持っていたことが発覚。日本政府への訴訟と平行して、自分の郵便貯金の返還訴訟も起こした。
当人の証言によれば、当時の額で26,145円の郵便貯金をしており、彼女の貯金原簿については熊本貯金事務センターにて存在が確認されている。当人が慰安婦として3年弱の間に貯めた金額は、実家への送金分も含めると、31,135円。(※利息は含みません)
当時の大卒の初任給が100円から150円、陸軍参謀の年棒が6600円ですので、現在の貨幣価値に直すと、単純計算でも6千万円は超えます。(※現在の初任給を20万円として2000倍した)
当該軍事郵便貯金については、日本の敗戦と共に失効したものと勘違いしていて、その後、通帳もなくしてしまったらしい。
強制されたと言う割には、親への送金を行ったり、多額の貯金を貯めたりしてますよね?
ちなみに、彼女の裁判の訴状には
貧しい人だけが行く私立の夜間学校に三年間行ったところで、お金がなく中退せざるを得なかった。その後、朝鮮人や日本人の家の女中に行き、洗濯や掃
除をした。五年くらい女中をしてから、家の近くの靴下の家内工場で二~三年間働いた。その後しばらく家にいた。当時は仕事があまりなく、失業をしていたの
である。そんな時に、文玉珠は少し顔を知っていた男から「ちょっと遠いところだが、食堂で働けばお金が儲かる」という話を聞かされた。その男は大邱に住んでいる朝鮮人だが、洋服を着てネクタイをして靴を履いていた。その男の姓は宋(ソン)で、日本名は松本と言った。
どこへ行くのか聞いたら、はっきりと教えてくれなかったが、「暖かい国だ」と言ったので、外国に行くのだと思った。松本は「故郷に金を送ったら家族が楽に暮らせるというので、文玉珠は生活が苦しいので、やむなく行くことにした。
二十日後に出発することになった。家族に知られたら叱られて行かせてもらえないので、誰にも知らせないまま家を出た。従って、家からは何も持ち出せなかった。出発前にはお金は貰えず、着いてから必要なものは何でもくれるということをきかされた。
一九四二年七月九日に、今と同じ場所にあった大邱駅から汽車で釜山に出発した。
洋服とネクタイをした宋という名前の憲兵なんて、日本軍にはいませんよ。
日本軍の憲兵に連行されたのではないですか?
韓国人は、慰安婦の証言を信じろと言っていますよね?この証言について、韓国人は、どう思っているんですか?