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JAPAN あるイギリス人女性の朝鮮大冒険   |  伝統文化・工芸
No.63772    投稿者: rindoh_    作成日:2007-02-28 23:25:09 閲覧数:1285    推薦ポイント:21 / 0
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あるイギリス人女性の朝鮮大冒険

今からほぼ100年前の1907年,
あるイギリス人女性が朝鮮に旅行に行きました。
大韓帝国の時代であり,日本に併合される以前の,
朝鮮王朝最晩年の時期であります。

さて,半島にはどのような世界が広がっていたのでしょうか。

視覚的にも追体験するため,
当時の古写真などを本文に付記してみました。
それでは,めくるめく朝鮮ワールドへの
Virtual trip をお楽しみください。。。

【参考文献】 Ethel HOWARD,Japanese Memories. (1918)


エセル・ハワード Ethel HOWARD (1865-1931年)

 


1907年のある時期に,下の子供たち3人を朝鮮と中国へ旅行に連れてゆく許しが出たが,
これは私が公爵(*島津忠重: 1886-1968)や顧問の人たちから信頼されていたことを示す大いなる証拠といってよいだろう。
<中略>
この旅行の計画が知れると,それに反対する何通かの手紙がいろいろな友人から送られてきた。その友人のある者は,以前その地方を旅行したことがあり,衛生上およびその他の見地から,この計画をやめるように強く忠告してきた。
<中略>
われわれは医学書をたくさん抱え込み,大きな薬箱を提げて旅行に出発したのである。


下関 (現・山口県下関市)  1878-88年頃
ハワードらは下関から「対馬丸」という船に乗り,釜山に向かった。


衛生上の問題・・・

われわれが,朝鮮への第一歩を印すべく釜山の港へ着いたのは午前9時半頃であった。
船から見ると,丘は砂山で暑そうに見え,木が一本もなかった。
土は茶褐色をしていて,日本の土とは全然違っていた。港には,三隻の日本の小型巡洋艦が停泊していた。


釜山港  1906年9月10日


A small village near Fusan, Korea.  1904年


白衣の群集 
西洋婦人の往来を見物する人々。撮影年代不明。

上陸して最初に私の目をとらえたものは,朝鮮~人の人夫の長い行列で,
背中に荷物を背負うための木の板を括りつけていたが,それは荷物がなくともそれだけで大変な重さであった。
後で道端でその中の一人が休んでいるのを見かけたが,彼が背中から板を下ろして私に背を向けたのを見ると,それは全くの裸であった。最初私は,彼が背中いっぱいに入れ墨をしているのかと思ったが,よく見ると木の板が皮膚を押し付けて一面に青い痣になっているのだった。
<中略>


釜山船着場で陶器を運搬する陶器売り  1903年

 

▲ (左)陶器売り  
  (右)背負子で陶器を運ぶ人  1910年

       
木製の背負子 

私の聞いた話では,普通の朝鮮~人は1着しか着物を持たず,
それも洗っている間は家にいなければならないという単純な理由から,
滅多に洗濯しないということだった。また,同じ理由で雨の日は働かない。

既婚の男は髪の毛を頭の上で小さな髷に結っており,
未婚の男は髪を真ん中で分け,後ろ側で弁髪に編んでいる。         
朝鮮~人が高い帽子をかぶると,この髷が透けてみえるので面白いと思った。
帽子が蝿帳のように,ある程度透けてみえるからである。
時によると,彼らは帽子を雨や日光から守るために,
小さな油紙で張った1フィートぐらいの長さの笠を帽子の上につけていることがある。

朝鮮服の奇妙な特徴は,腹部を丸出しにしたままであることで,
それを除けば人々の服装はかなり整っていた。
彼らは,両足の間にぶら下げたスコットランド人の下げ皮袋のような袋に,
お金や煙草を入れて持ち運び,
歩くときには日本人が使っているような長い煙管を手に持っている。
人足が働く時には,煙管やマッチ箱をどこかしらに押し込んでしまうが,
大抵の場合は,頭上に括りつけた衣類の間からそれらがのぞいているのが見える。
<中略>

 
▲ (左)朝鮮 服装  シーボルト 『NIPPON』 (1832~1851年)
  (右)庶民の服装
たしかに股間に何かぶら下げています。そして下着がありません。


1着しかない服が濡れると困るので,水辺では服を脱いで労働します。
(下着が無いため,脱ぐと素っ裸ですw)


人力車詰め所  1907年


人足  1907年
慶煕宮の正門・興化門前。

汽車で旅行すると,方々に所かまわず土が盛り上げてあるのが見えるが,それは墓らしかった。それらの墓には名前もついてないし,碑文を刻んだ墓石もなかった。
なぜなら,朝鮮~人は死者を葬るのに気の向いた所に,
水田でもどこでもお構いなしに葬るからである。
<中略>


どこかに墓が写っておりましょうか?w

朝鮮の子馬は非常にかわいくて,私が思うにはウェールズ種の子馬よりさらに小さいようだ。子供たちは,その中の大変かわいらしい1頭の子馬をとても欲しがった。
<中略>


左が朝鮮馬。ちなみに右は日本の在来種w 


ちなみに,これがウェールズ種の小馬 (Welsh pony)。w

通りは,ぶらぶら歩いている土地の人々で混んでいた。
彼らは普通,一方の手に煙管を持ち,もう片方に団扇を持っている。
<中略>


鍾路  1907年

朝鮮~人は皆,軒を接して建てられた藁葺小屋に一緒に住んでいるようだ。
屋根には一列に縄が張ってあったが,それが美観のためか補強のためか私にはわからなかった。強風が吹いていたから,おそらく後の理由だろう。
われわれは歩を進めて,小屋の中を覗いてみた。壁は土で塗り固められ,窓は非常に小さかった。床には茣蓙が敷いてあり,あたりに,寝るとき枕に使う木の台が散らばっていた。
<中略>


独立門周辺  1907年
西大門外,道は義州路。


民家  1909年

人々の身なりは汚く,子供たちの多くは着物を着ていなかった。
彼らの髪の毛は日本人のように黒ではなくて,
ある種の色がある――あるいは埃をよく払い落とせば色がわかるだろうといったほうがよかもしれない。
とにかく,そこいらじゅう埃だらけで大変だった。
<中略>


豚を運ぶ人たち  1910年頃

 
▲ (左)洗濯に行く女人と子供  1910年
  (右)Korean Girl Carrying Baby

宮殿は,建てられてからまだ50年しか経っておらず現皇帝の父君が建てたものであった。
彼はこれを建てるために民意を抑えて人民に重税を課した暴君であった。
その建築途中で,恨みからたくさんの材木が燃やされたが,皇帝は事業の続行を命じた。
それは,周りを丘で囲まれた眺めのよい場所に建っていたが,
樹木が建物を建てるために切り倒されてしまったので,田園風景は丸裸も同然であった。
<中略>


▲ 景福宮  北東から南西を望む
左端の二階建ては勤政殿。右手の大きな屋根は慶会楼。王宮のすぐ隣には藁屋根の集落w

建物そのものは完全に中国風であった。
われわれは数多くの大きな門をくぐっていったが,正門は2階建ての塔になっていた。
それを通り抜けると石畳を敷いた大きな中庭があり,そこには雑草が生い茂り,全く手入れされていなかった。
門の反対側に,宴会のために使われる大きな集会堂があり,
その屋根にはあちこち一面に小さな動物の形の石像が飾ってあった。
暑さの中を歩き回るのが疲れてきたので,とうとう私だけ休むことにして,
他の人たちに先に行ってもらうようにした。
私は緑色をした川の流れのそばに腰を下ろし,1人の女が衣類を洗濯しているのを見ていた。衣類は黄色や茶色に見えるほど汚れていたが,彼女はそれを木の棒で何度も強く叩きながら,緑色をした汚い石にこすりつけた。
衣類のためにはそんなやり方はよくないと思うが,
その効果は抜群で,衣類は真っ白になった。
<中略>


光化門  1907年
景福宮の正門。背後の三角形の山は北岳山。
手前の門に続く広い道は六曹通り。朝鮮の政治の中枢機関が集中する。


弘礼門  1902年
雑草の生い茂った中庭w


慶会楼  1902年


洗濯風景  1930年代?

私が特別の計らいで彼(* 伊藤博文)の家を訪問した時,彼の身の回りの質素なこと,
そして,富を象徴するような飾り物が一切無いことに心を打たれた。
伊藤侯爵は現世の宝を崇拝する人ではなかった。彼が死んだ時,その遺産はほんのわずかしかなかった。
われわれ一行が彼のところを訪れて歓迎を受けた時,彼が大変親切で思いやり深く,
その態度の慈愛に満ちていた
ことを,今でも目の当たりに思い浮かべることができる。
彼の朝鮮統監への任命には,困難かつ重要な仕事が付随していた。
その一つは,若い皇太子(むしろ朝鮮の新皇帝というべきかもしれぬが)の教育の問題であった。
かかる偉大な人物が,暗殺者の手にかかって最期を遂げたことを思うと,本当に痛ましいとしかいいようがない。


韓服をまとった伊藤公

 


女性にとって,このような野蛮国の旅は,
さぞかし大冒険だったことでしょう。
文面からもその大変さは推し量られます。
まあ,宿は清潔で文明的な日本旅館に泊まってたようですけどねw

▲ (上)原住民の好奇心: 英国女性を見物する朝鮮~人
  (下)朝鮮の路傍の宿屋

 

思えば100年で随分立派になったものです。
ただし日本に近い南半分だけね。
北は変わらずw

 

(=´ω`=)y─┛~~


 

 

エセル・ハワードa.jpg (63KB)
背負子で陶器を運ぶ人b_1910年.gif (106KB)
uma%20photo%20andy.gif (229KB)
洗濯に行く女人と子供_1910年.gif (95KB)
b06_Korean Girl Carrying Baby.jpg (238KB)
北朝鮮&李朝.jpg (162KB)
削除申告  
  rindoh_ 02-28 19:28  
  古写真はなるべく1907年前後のものを選んでおりますw
  nobody0728 02-28 19:35  
  日本も朝鮮も旅行したイザベラ・バードもいるね。気恥ずかしくなるほど日本をほめているが、朝鮮をほめている箇所は見たことが無い。もちろん日本をほめるばかりではないが。
  jbt 02-28 19:39  
  rindoh_>力作です。推薦!私もこの本買おう。
   → rindoh_ 02-28 21:11
      ありがとうございます。講談社学術文庫,定価1000円ですw
  s_3244 02-28 19:43  
  推薦しました♪当時の人々の生活の様子がよく分かり、また、初めて見る写真も多く、大変勉強になりました♪
  rindoh_ 02-28 19:48  
  「このすばらしい慎み深さは,<中略>彼らの強い愛国心と合わせて,日本を世界で最も優秀な国の一つに発展させたのだと考えざるを得ない。」 この人もバードと似たスタンスのようで。バードほどアクティブで男勝りではないがw
  mary_0 02-28 20:22
  気丈で凛とした英国女性をイメージしました。推薦!
  hitkot 02-28 20:25
  ( ´H`)y-~~ あるいは日本と比較される運命にあったことを呪うべきか。w
  sas_mi6 02-28 20:36
  中庭の雑草が痛い。
  kitakimchi 02-28 20:36
  土人の脊髄反射がないだけでも一級の良スレかと。推薦します。
  hitkot 02-28 20:38
  白衣の群集 って・・・コリア建築の頑丈さを示す写真ですねぇ。百人乗っても以下略
   → rindoh_ 02-28 20:42
       「岸辺の岩場に座っているのは,ペリカンかペンギンを思わせる白い物体の群れである。が, 同じような物体が人間そっくりの足取りで釜山の新旧市街間をとめどなく行きかうところをみると,座っている物体もどうやらその同類らしい。」←イザベラ・ バードの感想ニダwww
   → hitkot 02-28 21:27
      さすがコリア! 100匹乗っても大丈夫! < `∀´>
  oomononushi 02-28 20:38
  素晴らしい スレ です。 感動 しました。 推薦させて頂きました。
  yujukinokimi 02-28 20:48
  朝鮮の建物、頑丈ですねぇ。
  pepsikorea 02-28 20:51
  100年経っても、朝鮮土人の汚さは、変わらないですね。
  allforyouj 02-28 20:58
  相変らず捏造. [西洋奥さんの往来を見物する人々.撮影] -> 下側には伝統結婚式が開かれているが...
   → flammer 02-28 21:04
      後学の為に質問してもよろしいですか?貴方が伝統結婚式が開かれていると判断した根拠を聞かせて貰えないでしょうか?
   → rindoh_ 02-28 21:05
      うん?白人女性の横顔が写ってますが,何か?(失笑
   → rindoh_ 02-28 21:08
      この程度の突っ込みしかできないチョーンたちは,やっぱり馬鹿ばかり。(ゲラゲラゲラ
   → allforyouj 02-28 21:15
      わっ! 西洋女性がボーイだと見えますね.
  allforyouj 02-28 21:16
  flammer 02-28 21:04 > 中庭に屏風を立てているし衣冠を着飾った人の服装が司婚の場面みたいです. 朝鮮はお客さんを庭先で迎えないです.
   → allforyouj 02-28 21:38
      flammer 02-28 21:25 > 新郎ではないですね. あまり老けました. 婚礼を主観する周礼 [周礼] のように見えます. 正確に婚礼かは確認することができませんね. しかし凡その風景が婚礼の風景みたいに見えます.
   → flammer 02-28 21:25
      ご返答ありがとうございます。すいませんが重ねて質問です。衣冠を着飾った人←この人が新郎という意味ですか?それとも司祭?
   → flammer 02-28 21:53
       allforyoujさん>レスありがとうございます。日本人には、衣冠を着飾った 人が西洋女性を歓迎する主人に見えますね。あと、屏風を立てているのは判別出来ますが、中庭とは判断出来ませんでした。
   → allforyouj 02-28 22:06
      flammer 02-28 21:53 > そういう意見もあうこともできますね. お客さんを応待する風景としては礼儀に当たらないようだと思いました. とにかく確かに婚礼と言うにはそうですね. flammerさんの発言が当たることもできると思います. 婚礼の外に宴もああいう風景ですね.
   → flammer 02-28 22:41
      allforyouj 02-28 22:06>昔の韓国について色々とありがとうございました。では^^
  allforyouj 02-28 21:18
  韓服は腹部を露出しないです. 写真の誰も腹部を露出していないんですね. イギリス人女性は精神鑑定が必要ですね.
   → rindoh_ 02-28 21:22
      写真の誰も腹部を露出していないんですね. << 日本側から見なさいw 下着も着ずに,あんなに丈が短い上着だったら,当然腹が露出するだろ。(笑
   → allforyouj 02-28 21:35
      rindoh_ 02-28 21:22 > 下着がなくはどうしてない? 朝鮮の女達は下着の種類が非常に多かったし男も [続稿の] という下着を着た. ゴッチァム変なやつだね... 歴史教育はお前がいただくとゲッダ.
   → rindoh_ 02-28 21:25
      腹を丸出しで,下痢にならなかったのかねえ。頑丈なのか,単なるバカなのかww
   → cruciancarp 02-28 23:56
      「朝鮮を描いたフランス人 【後編】」も削除されてるような
  remon 02-28 21:20
  ( ̄∀ ̄) 朝鮮土人に、正しい歴史を知ってもらう、楽しいスレですネwww
   → rindoh_ 02-28 21:38
      田んぼの下には死体が埋まっている・・・ケンチャニヨ! (=^ ิ౪ ^ิ=)y─┛~~
   → remon 02-28 21:26
      朝鮮~人は死者を葬るのに気の向いた所に,水田でもどこでもお構いなしに葬るからである。>>これ、在日のおじいちゃんから聞いたことがあります。本当だったんだ・・・
   → rindoh_ 02-28 21:26
      管理人の妨害が思ったよりひどいですねえ。ジャクレースレの後編も削除されたし。。(= ̄ω ̄)y─┛~~
   → hitkot 02-28 21:31
       水田でもどこでもお構いなしに葬るから> ( ´H`)y-~~ 風水的に良いと言われたらどこにでも埋葬しちゃったとか、<#`д´>王様のお墓のあるばしょなら間違いなくて!と勝手に 他人の墓所に合わせ埋めするとか、そんな感じ。w
  rindoh_ 02-28 21:58
  allforyouj> 庶民の男はノーパンだったんだよ。本文中にあるように,「普通の朝鮮~人は1着しか着物を持たず」のが真実。(爆笑
  rindoh_ 02-28 21:59
  で,パンツをはかなかった朝鮮モングキに,パンツをはくように教えてくれたのが日帝。謝罪するから,伝統を守ってノーパンで生活してくださいwww
  cruciancarp 02-28 23:53
  景福宮の雑草だらけの中庭の写真って、見たことあったけど、荒廃した江戸城の写真の連想から、併合ってのはそんなもんかと思ってたました。実際は、もともとそんな具合だったのね。
   → rindoh_ 03-01 00:16
      江戸城の例の写真は,大火と維新のごたごたの直後でしたからねえ。景福宮は,築50年そこそこww
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