■日本の司法省の調査書
韓国人の死者233名
重傷15名
軽傷27名
韓国人と間違えられて殺された日本人死者58名
重傷13名
軽傷18名
韓国人と間違えられて殺された中国人死者3名
重傷5名
■日本の内務省警保局の調査
韓国人の死者231名
韓国人と間違えられて殺された日本人死者59名
別の機関による調査ですが、韓国人死者の誤差は2名。
日本人死者の誤差は1名です。
正確な調査と言って良いでしょう。
またChosun総督府が調査した結果、韓国人の関東大震災全体の死者(虐殺も含む)&行方不明者は832名でした。
※つまり(虐殺で死んだ人200人)+(地震で死んだ人&行方不明者600人)という事です。
韓国人の遺族には1人200円の見舞金を贈り、地方官が遺族を慰問しました。見舞金総額は16万6千円です。
■金承学の調査
※金承学=当時、上海にあった独立運動機関誌「独立新聞」の社長
韓国人の死者6415人
何故、上海でこんな数字を掴めたのでしょうか?
コーリャン粥の奪い合いをしていた乞食同然の独立運動家に!
出鱈目な数字です。
韓国や在日は「金承学の調査」の6000人を今でも、そのまま主張しています。
北Chosunは更に×3をして20000人と主張しています。
また、実際に起こった200人の虐殺の原因も「デマ」だけが原因のように思われていますが、それは違います。
戦前の日本における韓国人の姿
■韓国人詩人の金素雲の自伝より抜粋
日本人所有の家を借りたら、家賃は全く払わないのが、戦前の同胞の間では常識化していた風習だった。
「日本は国まで盗んだじゃないか!家賃が何だ!」
こちらにはこうした理屈があったが、騙された日本人は恨みが貯まるのは当たり前だった。
家賃を貰う事が出来ない上に、半年分の家賃に相当する金を「立ち退き料」という名目で払わなければならなかった。
こんな時に、その仲介をするのが叔父の仕事だった。
(同胞が集団居住する町には、こんなブローカーが必ず数人いた)
1、2年只で住んで、「立退き料」を奪って家を空けてやる事もあった。
引っ越した次の日に大家から「立退き料」を奪って、また引っ越していく・・・そんな場合もあった。
その「立退き料」の半分が叔父のようなブローカーの収入になる。
もちろん、これは50年前の昔話だが、こうした事が日本人が「韓国人」を敬遠し、蔑視する後遺症の種になった事は事実である。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Kaede/3250/noriasa/mondai2.htm
■その当時の新聞記事(一部です)
『蛇を吊し煙で燻べ家主をいやがらせて立退料四万円余をせしめた/鮮-人連の組織的恐喝』 大阪朝日 1926/11/14
『「借りた以上はおれのもの」/替玉を住せて立退料を/被害各方面に及ぶか(武庫郡精道村)』 神戸又新日報 1931/12/3
『僅か一ヶ月に四軒から立退料/ペテン師鮮-人の凄腕/悪運つき芦屋署へ検挙』 神戸又新日報 1932/12/17
『悪鮮-人の借家戦法/目指すは立退料/囮を使って巧みに家主泣かせ/同時に二組検挙さる』 神戸新聞 1932/8/31
『貸家へ無断で住み家具一切を薪に/立退料をうけ高架下を追はれた乱暴な韓国人十名(須磨)』 神戸又新日報 1930/10/22
『立退料目あてに借家を渡り歩く/内地人を手先に使った家主泣かせの鮮-人』 大阪毎日 1928/10/4
『家賃を払はぬ鮮-人に明渡し判決(飾磨郡津田村)』 神戸又新日報 1927/12/6
『封印を破って勝手に住み込む/家賃払はぬため明渡しを執行された男(飴行商)』 神戸又新日報 1929/8/23
『家賃を払はぬ鮮-人追ひ出されて暴行/大挙して空家に押入る(林田)』 大阪毎日 1930/2/26
『家主泣かせの「糞小路」の鮮-人長屋/家賃を払はず立退きにも応ぜぬ/市で善後策を協議(林田)』 大阪毎日 1934/7/26
『立退料目あてに借家を渡り歩く/内地人を手先に使った家主泣かせの鮮-人』 大阪毎日 1928/10/4
『貸家へ無断で住み家具一切を薪に/立退料をうけ高架下を追はれた乱暴な韓国人十名(須磨)』 神戸又新日報 1930/10/22
『風采と巧言で偽り/鮮-人の借家荒し/立退料取りの常習/湊川署に元兇検挙さる』 神戸新聞 1931/6/6
『家主泣かす悪鮮-人の群/替玉使って家を借り、立退料を恐喝』 神戸新聞 1932/2/27
『立退料ばかり二千余円/鮮-人を手先に使ふ/うるさい借家人(林田)』 神戸又新日報 1932/3/20
『悪辣な鮮-人の家主泣かせ/新進会長が仲に入って立退料六千円を取る』 福岡日日 1926/12/2
『「借りた以上はおれのもの」/替玉を住せて立退料を/被害各方面に及ぶか(武庫郡精道村)』 神戸又新日報 1931/12/3
平時でさえ、この有様です!
こんな非常識な民族が震災のような混乱時にどんな行動を起こすか・・・。それは戦後の混乱時の「三国人(韓国人)」が証明しています。
戦後の混乱時の韓国人の姿
■ハーバード大学教授エドワード・ワーグナー(Chosun史)の言葉
戦後の日本で韓国人は常に刺激的な勢力だった。
人数は激減したが、韓国人は依然として騒々しかった。
感情的であった。
無駄な疲労の原因になるような集団だった。
彼らは絶対に敗戦国民の日本人に加担しなかった。
逆に戦勝国民の仲間入りをしようとした。
韓国人は「日本の法律は我々には適用されない!」と考えていた。
だからアメリカ占領軍(GHQ)の指令も日本の法律と同じように殆ど無視して行動した。
韓国人の行動は日本国内に非常な混乱を発生させた。
占領当初の数ヶ月、在日韓国人炭鉱労働者の頑強な反抗のせいで、日本の重要産業の石炭産業の再建は損害を被った。
経済的領域での韓国人の様々な活動は、日本経済再建の努力を頻繁に妨害した。
1948年の神戸の緊急事態宣言は日本の教育改革を韓国人が妨害した結果だった。
占領当局(GHQ)が決定した韓国人帰国政策を日本政府が実施しようとすると、これも妨害した。
(中略)
こうした韓国人の犯罪性が日本人と韓国人の関係に与えた悪影響は依然として甚大だ。
韓国人の略奪行為が殆ど日本人の庶民の日常生活の重要な地域で行われた事も原因だ。
更に韓国人は日本に不法に入国しようとした。
不法入国の時、伝染病も持ち込んだという事情もあり、日本人の不安を増幅した。
「“韓国人は悪だ”という心理が時間の経過で日本人の心から薄れていく」と予想する事は全く出来ない。
これが「混乱時における韓国人の行動」です。
関東大震災は死者10万人以上の未曾有の大災害です。
その大災害で秩序を乱す行動をする非常識な民族がいたら・・・。
そして、それを取り締まる警察機関も機能していなかったら・・・。
むしろ間違って殺された60人の日本人が可哀相です。
ちなみに当時はまだ韓国人の日本への渡航が許されていません。
つまり、殺された人はほぼ全て「不法入国者」である事も記しておきます。