《終戦直後の朝鮮_人の振る舞い》
引揚げ時の日本人を襲った"朝鮮じん"
1944 年、日本が敗戦。
それまで「日本人」を名乗って捕虜や現地人に横暴を働いていた"朝鮮じん"は、今度は「戦勝国民」を名乗って日本人に対して横暴を働き出した。
敗戦と共に態度を豹変させた"朝鮮じん"
「台湾人と日本精神」 蔡焜燦 2000 年 日本教文社 |
昭和20 年8 月15 日、終戦の詔勅下る。
山奥での作業中に年輩の応召兵が『敗けた!』と隊からの伝令を口にしたまま、呆然と立ちすくんでいた。
我々は何が起こったのかさっぱりつかめない。無理もない、玉音放送があることすら知らされていなかったのである。
ただ中隊長の青ざめた表情は自体の深刻さを物語っていた。 しばらくして、敗戦の事実が我々台湾出身生徒 にも正式に伝達されたとき、悔しさと無念の気持でいっぱいになり、とめどなく込み上げる涙で頬を濡らしたことはいまでも鮮明に覚えている。無性に悔しかった。それは他の台湾出身生徒も同じ心境だった。 他方、朝鮮出身の生徒達は、その日から食糧倉庫、被服倉庫を集団で強奪するなど、したい放題のありさまで、我々は複雑な心境でただそれを眺めていた。日本人を殴って、『戦勝国になったんだ』と威張りちらす者もいれば、『独立だ!』と気勢を上げる輩もいる。敗戦の報は、それまで一つだった”国民”を三つの国民に分けてしまったのである。 |
中国大陸と朝鮮半島から引揚げる日本人を襲ったのは、
"朝鮮じん"だった。
正論 2005 年 11 月号 引揚民間人を襲った略奪・暴行・殺戮の嵐 |
「満州や北朝鮮からの初期の脱出者は悲惨で、今も念頭を去らないいくつかのエピソードがある。 北朝鮮で農業を営んでいた老夫婦は、年頃の娘二人を連れ、辛苦のすえやっと38 度線近くの鉄原にたどりついた。 そこで見たものは、日本人の娘達が次々にまずソ連兵に犯され、ついで"朝鮮じん"の保安隊に引き渡されてさらに散々に辱められたうえ、虐殺されている光景であった。 (中略) 「吉州や端川の海岸線にでた人たちに対するソ連兵や朝鮮保安隊の略奪と暴行は、残酷をきわめた。 夜中に雨戸を蹴破って侵入してきたソ連兵は、17 になる娘を父親からひったくるように連行。 娘は明け方になり無残な姿で、涙もかれはてて幽鬼のごとく帰ってきたという。 みなソ連兵を"朝鮮じん"が案内したのだった。 部落ごとの保安隊の関所では、厳重な身体検査が行われ、金や着物や米などが取り上げられた。 靴の底や、女の髪のなかから金を探し出すのはふつう。 一糸まとわぬ姿にされ、取調べられた若い女性もあった。 城津での惨状は言語に絶した。(中略)"朝鮮じん"の男女が数十人の団体でおしかけ、干してある洗濯物から赤児の着物まで剥ぎ取って掠奪され、あげくは婦人の“提供”を要求されたという」 博多港から車で40 分ほどの二日市温泉郷につくられたのが、「二日市保養所」である。 強姦によって妊娠させられた女性たちには、堕胎手術が施された。 また、性病に感染した女性たちにについても、匿って回復するまで治療が行われた。 昭和21年の春、堕胎のための専門病院設立のきっかけになる出来事があった。 医療救護に従事していた医師・田中正四は、港で引揚船から降りてきた教え子と再会した。 (中略) 「二日市保養所」の産婦人科部長だった橋爪医師の証言が、『水子の譜』に収録されている。 同医師が昭和21 年6 月10 日付で救療部に提出した報告書によれば、強姦の加害者は"朝鮮じん"が最も多く、次いでソ連人、中国人、アメリカ人、そして台湾人、フィリピン人も登場する。 (中略) 中絶された胎児は、黄色人種もあれば、白人の子もいた。(後略) |
アメリカ人が見た戦後の”在日朝鮮じん”の姿
「ハーバード大学教授 エドワード・ワーグナー(朝鮮史) |
戦後の日本においては、朝鮮じん少数民族は、いつも刺戟的な勢力であった。 数においては大いに減ったもの、朝鮮じんは依然として口喧しい、感情的・徒労的集団である。
彼らは絶対に敗戦者の日本人には加担しようとはせず、かえって戦勝国民の仲間入りをしようとした。朝鮮じんは一般に日本の法律は彼らに適用され得ないものとしてアメリカ占領軍の指令も同じようにほとんど意に介しなかった。
そのため国内に非常な混乱をおこした。占領当初の数ヶ月、在日朝鮮じん炭鉱労働者の 頑強な反抗のために日本の重要産業たる石炭産業の再建は損害をこうむった。
経済的領域における朝鮮じんのいろいろな活動は、日本経済再建への努力をたびたび阻害した。
1948年の神戸における緊急事態宣言は、日本の教育改革を朝鮮じんが妨害した結果、 行われたものである。
引き上げについては占領当局が決定した政策を日本政府の手で
実地しようとするのを妨害した。/たとえこのような事件(朝鮮じんの犯罪)で朝鮮じんの
犯罪性が拡大されることがなかったとしても、この犯罪性が日本人・朝鮮じんの関係に 与えた影響は依然として甚大なるものがある。朝鮮じんの略奪行為が、大部分、下層民の 日常生活にとってきわめて重要な地域において行われたということもあった。 さらに朝鮮じんは日本に不法に入国しようとしたが、ときには伝染病も持ち込んだと いう事情もあって、この不安を強める実例を提供した。朝鮮じんは悪者だという心理が 時の流れとともに日本人の心から薄れていくであろうと信ずべき理由はなにもないのである
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その前は
★中国人に・・・
■中国人SHA EIKOUの著書「日本軍は香港で何をしたか」から抜粋
最初の数日間は平穏無事で、日本軍の姿は全く無かった。
と
ころがある日、突然五、六人の動物のような兵隊が現れ、麻雀をしていた四人の女優を強姦した。前述の女優は日本軍の馬を管理する男達に暴行されたが、この
男達は韓国人であった。(中略)香港占領期間中、多くの韓国人が日本の軍服を着ていたが、一般の日本人よりも背が高く、日本の正規軍よりも凶暴だった。こ
の時、民家に乱入して婦女暴行を働いたのは、殆ど日本人の手先となって悪事を行なった韓国人であった。
当時、香港住民は日本軍よりも韓国人を激しく憎んだ。
■1923年9月16日、大阪の海軍の通信所の電報
中国各地で傍受された日本国籍を与えられた韓国人の道徳の無い行動が、中国や世界でニュースに取り上げられ、ヨーロッパで反日宣伝の材料になっている。
注意が必要であり、充分な取り調べが必要であると考える。
■中国人が描いた絵「日本の軍旗を自慢する韓国人が中国人を殺す」
※服に「韓国人」と書いてある。
★イギリス人に・・・
■映画「The Bridge on the River Kwai」
アカデミー賞を受賞。
日本では「戦場に架ける橋」の名で上映されました。
この中で、日本軍が捕虜のイギリス人をリンチする話が出てきます。
実は、この収容所でイギリス人をリンチした人間は殆ど「韓国人」でした。
しかも「民間人」でした。
戦後148名が罪に問われました。
★フィリピン人に・・・
■日本の登山趣味を持つ医師の述懐から抜粋。
登山では仲間の信頼関係が大切だ。
韓国、フィリピン、日本の3人で風雨の中、登頂する寸前の事だった。
休憩のときAN(安)が韓国人である事を知らないフィリピン人が言った。
「日
本の占領下で最も残虐だったのは韓国人だった。赤子を投げて銃剣で差したのも彼らだった。皆がそう信じている。」一気に遭難しそうになったパーティを必死
で支えながら、私は山下将軍の亡霊を見たような心境だった。その後も各地でこのような話を聞いた。 愛国者であったAN(安)の気持ちが心配だった。
http://www.net-ric.com/advocacy/datums/95_10irohira.html★オーストラリア人に・・・
■オーストラリア人ケニス・ハリスンの著書「あっぱれ日本兵」から抜粋
※日本軍の捕虜となったオーストラリア兵の証言を抜粋
その日の最後に、韓国人に会わされた。韓国人は(日本人と比べて)大型で、顔は平たく、知性で劣り、日本人が与えた屈辱を我々に転嫁した。どんなに試みても、彼らと本当の人間関係を作る事は出来なかった。体罰では、日本兵よりも彼ら(韓国人)を遥かに恐れた。
★占領地域全体で・・・
■PARIS MATCH記者、A・スムラーの著書「日本は誤解されている」から抜粋
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4531080548/249-1372373-3521946
※フランスの雑誌「PARIS MATCH」
日本人戦犯の責任を軽減するつもりはないが、占領地域で最も嫌われたのは、日本国籍を持っていた韓国人だった。
※殆どが民間人です。(軍属・入植者)
■後日談
最近、元オーストラリア兵の捕虜と、その監視をしていた韓国人が面会したそうです。
韓国人は「我々は日本に強制されて捕虜の管理をしていた。同じ日本の被害者だ!」と言いながら、元オーストラリア兵に握手を求めたそうです。しかし・・・。オーストラリア人は「あの残虐行為は個人の問題だ!」と言って握手を拒絶したそうです・・・。
当然ですよね・・・。
朝鮮-人の戦犯は148名おり、そのうち23名が処刑されて靖国神社に祭られています。
《関係もないのに援助金欲しさにベトナム戦争に従軍した朝鮮_人の振る舞い》
韓国軍の蛮行
ベトナム生き残った老僧の証言
"1969年 10月14日, ベトナム南部パンラン地域で、韓国軍人らがリンソン(Linh Son)寺の僧侶に向かって銃器を振り回す事件が発生した. サイゴンの報告によれば、韓国軍一名がリンソン寺でベトナム女性に戯れようとして住持僧に追出されると、これに激怒, 同僚を誘って銃器を乱射したことが明らかになった. は、この事件で71歳の住持僧, 69歳の老僧, 41歳の女僧, 15歳の修行僧 等 4人が死亡した事実をベトナム政府が公式に認めたと報道した.(<人民軍>紙 1969. 10. 24)"
"女性たちを強姦した後、殺害"
子供も妊婦も容赦なく… 韓国軍に殺されたベトナム人の数は、公式統計だけでも 4万1450名
住民たち(大部分が女性と老人, 子供たち)を一ケ所に集めた後、あるいはいくつのグループにまとめて、機関銃を乱射して抹殺する.
-住民たちを一戸に追い詰めて銃を乱射した後、家と一緒に死亡者も生存者も全部燃やす.
-子供の頭を割ったり首をはね, 脚を切ったり四肢を切断して火にほうり込む.
-女性を強姦した後、殺害して, 妊産婦の腹を胎児が破れ出るまで軍靴で踏み潰す.
-住民たちを村のトンネルに追い詰めて毒ガスを浴びせて窒息死させる.
韓国軍の大量虐殺が強行された所では、子供たちの口にキャンディやケーキが含まされていた. 老人たちの口にはタバコが咥えられていた場合が多かった. 恐らく、村人を安心させながら一ケ所に集めるための手段だったようだ.
ハンギョレ21 1999年 05月 06日 第256号 .
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これらの記事は、元々韓国の雑誌「ハンギョレ21」誌の記者が自ら取材し、韓国・ハンギョレ21誌の決定で掲載したものです
僅か3個師団5万人の延べ 6年間の派遣、つ7000人の 混 血児問題を生起。
日本軍は15年間の戦争中に述べ800万人の兵士軍属を 大陸と東南アジア、太平洋諸島に派遣してますが、戦後 混 血問題は発生していない。
朝鮮戦争 ベトナム戦争 いつも弱かった韓国軍
しかし武器をもたない市民には滅法強かった韓国軍 強姦事件が多発する韓国軍
何故か 朝鮮_人を軍に編入させると国際社会の批判に曝される
歴史の偶然性とchousenjin の民族性
●アメリカ人「韓国は歴史を忘れ恩を仇で返す国」
米ワシントンの知識人層の「反韓認識」に、新しい流れが感知されている。
以前にはなかった嘲弄まじりの批判が表われ、共和党議員の間に主に見られた反韓感情が、民主党中心部に広がる兆しまで感知される。知韓派はこのような気流について、「そうではない」という声を出せないでいる。
ヘリテージ財団のピーター・ブルックス上級研究員は21日、LAタイムスの寄稿文で韓国を露骨に非難した。第1期ブッシュ政権で国防副次官を務めた彼は、ダグラス・マッカーサー将軍の銅像撤去論争に言及しながら、「恩を忘れる者(ingrate)ほど悪いものはない。今週の『恩知らず大賞』は、韓国が獲得した」と非難した。
ケイト(CATO)研究所のドック・ベンド上級研究員は、韓国を「社会保障制のサギ師」と言った。彼は17日、知識層向けの中道保守の月刊誌『理性(Reason)』の最新号で、「韓
国は、米国に寄りかかる社会保障の女王(welfare
queen)と書いた。所得が豊かでありながら、底所得層の社会保障保険金を不法に受け取り、豪華に暮す人という意味だ。彼は、在韓米軍については、「米
国の税金を使い、韓国では人気もない、両国にとって不要な存在」と述べた。
25日のヒラリー・クリントン上院議員の「韓国人の歴史的忘却」(historical amnesia)発言を含め、わずか十日足らずの間に、韓国人の否定的な対米認識に対する批判が、次々に飛び出した。
こ
れまで、韓国の歴代政府に対する批判は少なくなかったが、韓国をこのように露骨に非難し、嘲弄するケースは見当たらない。ワシントンのある韓半島専門家
は、「マッカーサー将軍の銅像撤去論争や、北朝鮮より米国がもっと脅迫的だとする世論調査の結果を、一部の知識人たちは、堪えられなかったようだ」と分析
した。
むろん、ダン・バートン下院議員(共和党)のように、同僚議員たちに手紙を送って、「論議はあっても、韓米関係は、最も躍動的な2国間
関係として維持しなければならない」という友好的な声もある。しかし、議会やシンクタンクの知韓派たちは、互いに「ベンド上級研究員の論文を読んだか」と
か、「表現は過激だが、ブルックス上級研究員の論文は間違っていない」とうなずいている。
http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2005102854038
変わり身の速さと勝ち馬根性
繰り返れされる歴史 変わらない卑しい民族性
上から
中国の使者を恩で迎える門
日韓併合を喜ぶ大韓帝国最大政党 一進会の門
米軍を歓迎する門
友好を装い後ろから刺す韓国人 卑怯者民族 この民族性は これは永遠に変わらない