台湾
その教授は台湾の旧制中学校に通う中学生でした。
1945年8月15日。
日本は第二次世界大戦に敗れました。
翌日、その中学校(今の高等学校)の先生は
「日本が負けたのは科学でアメリカに劣っていたからだ。
君たちはアメリカに負けない学問を身に付けろ」
それから日本引き揚げの翌年3月までのわずか7カ月で
旧制中学課程4年間の勉強すべてを教えたそうです。
教える方も、それを学ぶ方もすごかったと思います。
その生徒はそれから東京大学に進み、
民間企業を経て、超有名私立大学の教授になりました。
「sakuraさん、人間、必死になればなんでもできますよ」
と教えてもらいました。
朝鮮
その教授は、朝鮮北部の小学生でした。
1945年8月15日。
半島で暮らしていた日本人の総引き揚げが始まります。
日本人が集団で半島南部の釜山を目指しました。
引き揚げる過程で造線人の略奪が始まります。
「日本人を狙った造線人が村ごとに立っているのです。
腕時計などの財産を渡さないと通してくれません。
ある日本人家族は最後には何もなくなりました。
その時、
造線人の男はその日本人の娘さんを指差すのです。
そのお父さんは苦しかったでしょう。
でも、造線人は武器を持って通すことを許さないのです。
お父さんは泣く泣く、娘さんを造線人に渡しました。
その娘さんは弄ばれた上で殺されたのでしょうねえ」
自宅で、悲しそうにその話をしてくれた先生は
某国立大学教授で、その分野では超有名な碩学です。
私は二人の先生からじかに聞いたこの話を忘れません。